2019年5月31日金曜日

中学生時代

中学生になると、それまでの集団登校はなくなり各自が時間を守って登校するようになります。小学生の時は朝の準備が忙しく(排泄の後始末や準備がありますし低学年の頃は独りではできません)上級生が迎えに来て少し待ってもらう事もありました。


人を待たせるという煩わしさ(?)からは解放されましたがやはり朝の準備は大変でした。しかも朝食を摂るとお腹が動き始めますから排泄が促されることもあります。一度家を出ても途中で引き返して処理をして、遅刻して登校ということもありました。中学でもやはり入学前に両親が病気や現状を説明しある程度の配慮を求めていたと思います。

中学に上がってさらに変わったのは制服があることです。黒の詰襟の典型的な学生服でしたから色的には好ましいのですがジーンズのようにフィットしている物ではありません。お腹が緩くなったらどうしようとか、逆に便がウサギのフンのように固くでも下着の隙間から転がり落ちたらどうなるだろうという心配がありました。この辺りの記憶は残念ながら定かではないのですが、この頃でも排泄してしまったことを必ずしも分かるとは限らなかったのです。固い便の時は座っていればお尻の感覚で”あれ?何かお尻で踏んでる?”ということは分かっていたと思います。そうではない時が大変で特におならが出るのと軟便が出る違いは全くわからなかったのです。

小学生の時は遊びに夢中になっていると下痢にでもならない限り全く気にならず、遊び終わってからなんか変とわかる。しかし中学生にもなるとやはり変わります。
日頃から臭い・匂うという言葉に敏感で何とかおならも教室では出さないように努力しました。努力と言ってもお尻の穴に力を入れるということ自体が難しく、体を震わせるくらい力を全身に入れてしまっていたと思います。椅子に座っているときにはお尻を座面に押しつけて漏れないようにもしていました。

幸いとても良い友人たちに巡り合え音楽や(当時流行っていた)鉄道などの趣味について楽しく過ごすことができましたが放課後にも十分な時間を共有できたかというとそうではありませんでした。やはり人と共にいる時間が増えれば増えるほど”嫌われる”恐れが増えてしまうと感じてしまっていたのです。

断片的な記憶しかありませんが中学1年生の頃は小学生時代にもあった皆を笑わせたいという気質が目立っていてクラスの女の子に”○○君(私)と××君(親友)っておすぎとピーコみたいだよね”って言われた事がありました。
”えっ、面白がらせようとはしていたけれどそんなに俺たちオネエっぽいのか?”って複雑な気持ちになったことを覚えています。

しかし学年があがりやはり女子の目が気になってくると、嫌われないように目立たないように...と目立つことは避けていったと思います。

大好きなビートルズやYMOを聞いたり、ファッションに興味を持ち出したりということもありましたがそれを楽しむ時間を友達と共有するということは苦手だったのだと思います。思い返すととても残念で仕方がありません。

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2019年5月24日金曜日

小学校の授業

小学生時代は結構目立ちたがりで周囲を笑わせるのが好きでした。嫌われたくない・仲間外れにされたくないという気持ちからだったのかも知れません。
基本的にはニコニコして何か問われればわかることはある程度答え、わからないときはわかりませんと返事はしていたと思います。

学級委員にも何度か選ばれたこともありました。

クラスのレクリエーションでお楽しみ会というものがあり、クラス内でゲームをしたり数人のグループでミニ発表会をおこなったり。
大好きだった手品を披露したこともありました。また当時はドリフターズが大人気でグループでギャグコントを演じたりもしました。

こう書くととても活発な小学生のようですが、体育の授業はとても困りました。そもそも体操着への着替えが困るのです。
常に対策下着ですからズボンを替えるにも周囲の目が気になってズボンが脱げないのです。

それでも頑張って体調が良いときは、下着が見えないように上着のすそを思いっきり延ばした状態でズボンを履き替えそれからシャツを替える。体育が終わったらその逆の順番で着替えていました。
また時期によっては登校時から体操ズボンを履いていたこともありました。

しかし便の状態が良くないときは着替えすらできませんから体育は先生に見学したいと申し出ることも良くありました。夏のプールは全欠席です。(記憶のある限りプールは成人するまで入ったことはありません。)

そのような状態ですから背は伸びても体格はガリガリ。体力もつきませんでした。
放課後の遊びで野球に入れてもらった記憶はありますが、キャッチボール程度はできてもまともな守備なんてつとまりません。

だからと言って家で本を読むとか勉強をするというような子供でもありませんでした。記憶にあるのはよくテレビを見たり休日は父親と釣りに行ったこと位です。勉強は嫌いではありませんでしたがコツコツするのが苦手で漢字が書けない読めない、算数は答えが一つとはっきりしているのが好きだったようで授業中の練習はしっかりやっていたと思います。(5段階の成績で算数が5国語が3、他の教科はその間で体育は常に2くらい)


当時母親に”あなたは体育はできないけどその分他の教科で頑張れば良いんだよ”とよく言われていました。自分でもそうなんだと思っていたのかも知れません。例えば運動会で毎年徒競走がありましたが、6人で走れば必ず6着の人は必ずいるもんなぁ、自分が6着でも別に変じゃないよなぁ、と思っていました。(まぁ悪くはありませんができる範囲で頑張ろうとか、そういう意欲・モチベーションが持てなかったのは好ましくないと最近は思います。)

今になって思うと体調が悪いときは仕方ないかもしれませんが、状況が許す限り運動して体力をつける工夫をしてくれば良かったと思います。
日中多少の肉体的活動をするだけでどっと疲れてしまい夜はあっという間に寝てしまいます。

これは中学以降も変わらず、どんなに大切なことがあっても、自分で起きていようと頑張っているつもりでも気がつくと寝てしまっているのです。(ほぼ気を失うのと同じです。)大きくなれば体力が自然とつくわけではありません。ある程度小さいうちからできる範囲の運動で体力増進を心がけたほうがより過ごしやすくなると思います。

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2019年5月18日土曜日

小学生までの面倒(皮膚科通い)

昔のことを振り返っていて思い出したことがありました。

赤ちゃんのトラブルのひとつにオムツかぶれがあります。オムツ内のうんち等でお尻の皮膚がかぶれてしまう(炎症をおこす)わけですが、理由の一つにうんちが固形ではなく柔らかい(腸の消化液が多く残っている)ためということがあります。

小学生の低学年まで毎週ではありませんが定期的に皮膚科にかかりお尻の皮膚炎の治療を受けていました。今考えてみると原因は上に書いたいわゆるオムツかぶれだと思います。治療として紫外線照射を受けていたのだと思います。お尻をだしてうつ伏せにベットに横になり、何か機器を近づけて10分程度でしょうか、光を患部に当てるという治療でした。特別痛くも熱くもなかったので受診は嫌ではなかったと覚えています。

電車に乗って大きな隣町まで通っていたので少し楽しみだったのかもしれません。ただ状態が悪いときには、ただれているとかおさるさんのお尻の様だという表現があり、軟膏を塗って対処していました。そういえば下着が擦れて痛い時があった記憶があります。

自分ではどのような状態だったのかはっきりと見ることは無かったのですが両親にはとても心配をかけていたと思います。


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2019年5月11日土曜日

生殖器の異常

高位鎖肛の場合、生殖器の異常も合併することがあるそうです。

異常としてはいわゆるEDや逆行性射精などがあるようです。しかし機能的なものですから外見的には全く判断付きませんし、機能と言えば第二次性徴以降にわかるものです。これは治療グループもフォローが難しい部分かも知れません。

私の場合は恐らくそうなのでしょう。逆行性射精でいわゆる(外への)射精が起こらないのです。
逆行性射精も様々な程度があるようですが私の場合は全くありません。用手法の精液検査を受けましたがサンプルが尿ではないかとの判断。射精感(いわゆるイッた感じ)はあっても精液(いわゆる精子)が外に出ないのです。

逆行性射精は文字の通りで精子を含んだ精液が出口とは逆の方へ流れる状態です。この場合の逆というのは膀胱です。

ですので射精直後に排尿して精子が尿中にみつかればそれと判断できます。(見つからないから違うとは言えません。)

この状態は男性不妊の原因の一つで私のように先天的なものから外傷や薬剤など様々な原因があるようです。

しかしこの場合でも妊娠の可能性はあります。逆行性射精自体を治療しないでも尿中から精子を回収したり、精巣内の精子(またはその前の段階)を採取する方法があります。採取できる精子の量によって受精のさせ方は変わるのでしょうが精巣でつくられていれば少量でも顕微授精という方法でパートナーの卵子と受精させることが可能です。

不妊治療は費用も精神的・肉体的(パートナーも含む)な負担も大きい治療です。簡単なものではありませんし確実とは言えませんが子供を持てる可能性は十分あるのです。

ただこれについては中学生の時に悩んだ記憶があります。中学生と言えばいわば性に目覚める時期です。雑誌や友人たちとの会話で精液の色や性状について正確とは言えないかもしれませんがある程度の知識が入ってきます。
しかし自分の場合は全く違うのです。
通常の精液は粘性があって白く混濁しているものですが私の場合は白とは程遠くやはり尿のようにしか思えないものでした。赤い血球のようなものが混ざっていた時もあったように思います。

当然のことながら誰にも相談できず自分は他の人とは違うんだという認識を持っていたのだと思います。

2019年5月7日火曜日

洗腸の補足

洗腸に関して順行性と逆行性というわけ方をしていた論文がありました。

これは腸の内容物の流れに対して洗腸液をどのように入れるのかという視点での分類です。

現在の私のように上行結腸(口側)から洗腸液を入れるのであればうんちの運ばれる向きと同じなので順行性。いわゆる普通の浣腸は逆行性ということです。

瘻孔(ろうこう)をつくる手術前に試していたのが逆行性洗腸ということになります。

2019年5月5日日曜日

過去の処置

今までの処置

手術するまでの処置としては前にも書いたようにいわゆるパンパースというかふんどしというか...まぁブリーフの下に比較的かんたんに交換可能な下着をつける、紙ナプキンを使うという感じで対処していました。

しかしそれでは事後処理ということでトラブルを防ぐことはできないわけです。
そこで事前に行う事として...

強制排泄:牛乳をがぶ飲みして強制的に排泄を促す。高校生くらいの時にやっていました。冷たく冷やした牛乳を1パック近く一気に飲んでトイレにこもります。最後はうんちが真っ白になった記憶があります。でもこれはやはり後から残渣が出てしまうこともあって苦労した時もありました。

摘便:ビニール手袋をして自分の指を使って排泄します(表現が適切ではありませんが掻きだすという感じです)。直腸の長さは15~20cmらしいので直腸 の中を全て空にすることはできなかったのだと思いますが便が固い固形(いわゆるウサギのフン)の時は外出時の予防になりました。半日程度は排泄がなくなる時もありました。しかし食事の内容な体調によっては便の性状が変わりますからそういう時はやはりとても困りました。

洗腸:これは婁孔を作る前に担当の先生から試してみてはどうかと勧められたものです。ぬるま湯を2L程度、専用のビニールバッグに入れてそこから管を介してお尻の穴から大腸へ入れます。ちょうど点滴の要領で、ビニールバッグをトイレのドアにかけて重力を使ってぬるま湯がお尻から入っていくようにするのです。
これは上手く出来た時は効果がありました。初めての時はお尻からぬるま湯が上手く入らずトイレの中でお尻をびしょ濡れにしてしまいましたが、体の力(腹圧)を抜いて姿勢を良くしたりして腸の屈曲が少なくなるようにするとスッとぬるま湯が入って行くようになりました。
ただこれも妙にお腹が張ってしまったり ぬるま湯が多すぎるとそれこそ吐き気がする始末でした。2時間以上かかって体力をかなり奪われた気がしますが、上手く出来た後はとても快適に過ごせました。

洗腸キットはストーマ用の物だったと思います。ストーマコーンと言われるシリコン製のコーン形状のものをお尻の穴に押しつけて使っていましたがそこからぬるま湯が漏れてしまう状態でした。 私の場合は粘膜脱(肛門から直腸の粘膜がはみ出している状態。そもそも肛門が生理的な丸い形と異なりき裂のような状態なのです)などもあった為かどうしても漏れてしまう量が多いのです。そこで次のステップということで以前書いた手術へ進んだのです。
次の物は私が使ったものと同じではありませんが同じ類の物です。
https://www.mpi-store.com/item_pdf/13B1X10071000001.pdf

担当の先生からは治療の順番として、洗腸キットの使用、婁孔を使った洗腸、ストーマの造設という順番で説明を受けました。

腹部には大きな手術跡(簡単に言えば傷)がそもそもあるのですが、体調が良ければそのまま銭湯やプールへも簡単に入れる状態でした。しかしストーマとなるとそうもいかないようです。もちろんそれ用のキットがあるようなのでストーマを増設するとそれらに入れないという事ではありません。しかしストーマはストーマで新たな悩みが出てくる可能性もある、自分で十分対処できる(年齢)ならばストーマの前に試す価値があるとおっしゃって下さいました。

また逆に洗腸でも対応できない (洗腸自体ができない、洗腸後に排泄がコントロールできない、止まらない等)場合はストーマを付けることで対処することが多いという事でした。

2019年5月4日土曜日

惨状(主に小学生期)

ウンチが出る感じというのがほぼわからない状態ですがさすがに下痢の時にはおなかが張って突然キュルキュルとおなかが鳴り出し何かがおなかの中を動く感覚はあったと思います。しかしどういったときに下痢になるのかも自覚がない時期なので朝は問題がなくても学校にいる時に突然下痢になってしまうこともありました。

その時がくると最悪です。水のような便ですから対策した下着も全く用をなさず水分が染み出してきます。量が多ければ下着の隙間から便が流れ出てしまいます。

幸い授業中にそのような状態にまでなった記憶はありませんが、早退したり、学校の帰り道にそうなったことは一度や二度ではありませんでした。友達と一緒だった場合は何か理由をつけて別の道を一人で帰るということをしていたと思います。一歩踏む出すたびに太ももの内側を泥んこがちょっとずつ膝へ、ふくらはぎへ、そしてとうとう足首にまで伝わってくるという感じです。

当然白いズボンは履きません。薄い色のズボンも持っていませんでした。いつも黒っぽい濃い色のズボンやジーンズばかりを履いていました。また半ズボンもはきません。それでもズボンの後ろを気にしながら手提げバッグでおしりを隠しながら歩くこともありました。

2019年5月3日金曜日

小学生までの面倒

もうこんなに長く生きていると日常の記憶はほとんどなくなってしまっています。

特に何かに一生懸命取り組んだとか何かに参加してやり遂げたとかそういった類の活動を一切行って来なかったので記憶に残るような特別なこと自体少ないのかも知れません。

小さいときに排泄については自分でコントロールできた記憶は全くありません。泣き叫ばないだけでほぼ乳幼児と同じ状態だったと思います。
小学生当時はまだ赤ちゃん用の紙おむつが出始めたころで小児用ブリーフパンツの下にいわゆる布おむつ(褌?)をしていました。特に低学年までは親が毎日学校へ来てその褌交換をしてもらっていました。
自分には記憶はありませんが学校入学前に両親が病状について説明し配慮を受けていたのだと思います。幼稚園にも通っていましたがその時も同じでした。

当時は自分で排泄前に何かがわかると言うことはなく、排泄後も気がつかないことも多かったので定期的に交換する必要があったと言うことです。
また現在では尿漏れパッドという製品がありますが当時は一般的ではなく女性用紙ナプキンも併用していました。

これは記憶ではなく今振り返って考えるとといった内容ですが、一般の方は同じようなタイミングで排泄時にある程度のまとまった量の便が排泄されます。しかし当時の私(現在もそのような時がありますが)は排泄のリズムに乏しく少量の便が少しずつ排泄されるという状態だったのです。

小学生の3年のころ入院し再度手術を受けましたが、その内容は不明です。ただ術後に自分でお尻の穴を締める練習をしなさいと言われていたことを覚えています。直腸や肛門周囲の操作をしたのだとは思いますが、自分や両親の中では何か特別変わったということは無かったようでした。

現在の治療では術後のトイレトレーニングの重要さがより強調されていると思います。毎日決まった時間の浣腸で排泄のリズムを作る。排泄の感覚を覚えさせる。言葉が分かる年齢ならば肛門を閉める練習をするなど肛門周囲の括約筋や神経のネットワークを再構築させるためなのでしょう。当時の自分に教えてあげたいくらいです。

学年が上がると自意識も芽生え始め、においがやはり気になりました。お尻の違和感・不快感というものより先に匂いで、あ、困ったと気付くような状態です。
また便なのかおならなのかもわからずいずれも我慢するということができません。これは最近でも大きくかわることはありません。
周囲の「誰かおならした?」「何か匂わない?」という声にビクビクして過ごしていた気もします。

上級生になれば学校のトイレで自分で処理することができたかも知れません。しかし小学校で個室トイレに入るというのはかなり勇気のいる行動だったことは皆さんも感じたことがあると思います。教員用のトイレを使って良いよとおっしゃって頂けたこともありましたが他の生徒の目を気にしてしまい利用できたことは数回あったかどうかだと思います。

ただ幸いだったのはそんな状態であったにもかかわらずいわゆるいじめには合いませんでした。(別の理由だったかもしれませんがちょっとした仲間外れ程度でした。)周囲に迎合していたというのもあったのかも知れませんが、のどかな田舎暮らしでほぼ全ての学年で休み時間や帰り道に誰にも相手にされないという状況にはなりませんでした。学校の先生方にもかなりの配慮を頂いていたのだと思います。


2019年5月1日水曜日

論文がありました。

 以前は検索しても見つからなかったのですが複数ヒットしました。(調べ方が悪かったのかな? 検索

鎖肛術後排便障害に関する研究

やはり高位鎖肛では排泄のトラブルが残る症例は比較的多いようです。
ただ1979年の論文のようなので最近の成績は変わっているのではないかと思います。

年代的にちょうど私にマッチしていますが公立の幼稚園・小学校へは通えていたので、両親も苦労したと思いますが、ある程度、地域の理解があったのだと思います。

私はその面ではとても恵まれていたと思います。

他にも複数ヒットしました。

第 34 回日本小児外科学会総会 鎖肛の 長期的予後 - J-Stage 1997年

第69回 直腸肛門奇形研究会 抄録 ※PDF(2012年10月11日現在)

これは抄録なので研究会で発表された内容の要約です。 

成人してからも苦労されている方も少なくないと思います。何らかのフォローがあれば状態を改善できるチャンスもあるかと思いますが、一度病院から離れてしまうと問題が問題だけになかなか再診は出来ないと思います。現在は最初の手術から長期のフォローが予定されていると思いますが、困っているけれどどこに受診・相談すれば良いのかわからないという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

浪人時代

浪人時代 中学・高校と洋楽が大好きで当時流行でもありましたがハードロック/へヴィメタルをよく聴いていました。 当時はレコードが中心の時代です。少ないお小遣いで色々聴きたいのでレンタルしたり中古レコード屋さんめぐりをしたり... そんな生活ですから進路を考えた時に音響...