中学生になると、それまでの集団登校はなくなり各自が時間を守って登校するようになります。小学生の時は朝の準備が忙しく(排泄の後始末や準備がありますし低学年の頃は独りではできません)上級生が迎えに来て少し待ってもらう事もありました。
人を待たせるという煩わしさ(?)からは解放されましたがやはり朝の準備は大変でした。しかも朝食を摂るとお腹が動き始めますから排泄が促されることもあります。一度家を出ても途中で引き返して処理をして、遅刻して登校ということもありました。中学でもやはり入学前に両親が病気や現状を説明しある程度の配慮を求めていたと思います。
中学に上がってさらに変わったのは制服があることです。黒の詰襟の典型的な学生服でしたから色的には好ましいのですがジーンズのようにフィットしている物ではありません。お腹が緩くなったらどうしようとか、逆に便がウサギのフンのように固くでも下着の隙間から転がり落ちたらどうなるだろうという心配がありました。この辺りの記憶は残念ながら定かではないのですが、この頃でも排泄してしまったことを必ずしも分かるとは限らなかったのです。固い便の時は座っていればお尻の感覚で”あれ?何かお尻で踏んでる?”ということは分かっていたと思います。そうではない時が大変で特におならが出るのと軟便が出る違いは全くわからなかったのです。
小学生の時は遊びに夢中になっていると下痢にでもならない限り全く気にならず、遊び終わってからなんか変とわかる。しかし中学生にもなるとやはり変わります。
日頃から臭い・匂うという言葉に敏感で何とかおならも教室では出さないように努力しました。努力と言ってもお尻の穴に力を入れるということ自体が難しく、体を震わせるくらい力を全身に入れてしまっていたと思います。椅子に座っているときにはお尻を座面に押しつけて漏れないようにもしていました。
幸いとても良い友人たちに巡り合え音楽や(当時流行っていた)鉄道などの趣味について楽しく過ごすことができましたが放課後にも十分な時間を共有できたかというとそうではありませんでした。やはり人と共にいる時間が増えれば増えるほど”嫌われる”恐れが増えてしまうと感じてしまっていたのです。
断片的な記憶しかありませんが中学1年生の頃は小学生時代にもあった皆を笑わせたいという気質が目立っていてクラスの女の子に”○○君(私)と××君(親友)っておすぎとピーコみたいだよね”って言われた事がありました。
”えっ、面白がらせようとはしていたけれどそんなに俺たちオネエっぽいのか?”って複雑な気持ちになったことを覚えています。
しかし学年があがりやはり女子の目が気になってくると、嫌われないように目立たないように...と目立つことは避けていったと思います。
大好きなビートルズやYMOを聞いたり、ファッションに興味を持ち出したりということもありましたがそれを楽しむ時間を友達と共有するということは苦手だったのだと思います。思い返すととても残念で仕方がありません。
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いわゆる先天性の病気(鎖肛・直腸肛門奇形)で手術を受けたけれど困ったことが続いている状態の人です。
そろそろ終活の時期かと似たようなことで困っている方やお子さんが似た状態の方の助けになれば良いなぁと思ってます。
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2019年5月31日金曜日
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