基本的にはニコニコして何か問われればわかることはある程度答え、わからないときはわかりませんと返事はしていたと思います。
学級委員にも何度か選ばれたこともありました。
クラスのレクリエーションでお楽しみ会というものがあり、クラス内でゲームをしたり数人のグループでミニ発表会をおこなったり。
大好きだった手品を披露したこともありました。また当時はドリフターズが大人気でグループでギャグコントを演じたりもしました。
こう書くととても活発な小学生のようですが、体育の授業はとても困りました。そもそも体操着への着替えが困るのです。
常に対策下着ですからズボンを替えるにも周囲の目が気になってズボンが脱げないのです。
それでも頑張って体調が良いときは、下着が見えないように上着のすそを思いっきり延ばした状態でズボンを履き替えそれからシャツを替える。体育が終わったらその逆の順番で着替えていました。
また時期によっては登校時から体操ズボンを履いていたこともありました。
しかし便の状態が良くないときは着替えすらできませんから体育は先生に見学したいと申し出ることも良くありました。夏のプールは全欠席です。(記憶のある限りプールは成人するまで入ったことはありません。)
そのような状態ですから背は伸びても体格はガリガリ。体力もつきませんでした。
放課後の遊びで野球に入れてもらった記憶はありますが、キャッチボール程度はできてもまともな守備なんてつとまりません。
だからと言って家で本を読むとか勉強をするというような子供でもありませんでした。記憶にあるのはよくテレビを見たり休日は父親と釣りに行ったこと位です。勉強は嫌いではありませんでしたがコツコツするのが苦手で漢字が書けない読めない、算数は答えが一つとはっきりしているのが好きだったようで授業中の練習はしっかりやっていたと思います。(5段階の成績で算数が5国語が3、他の教科はその間で体育は常に2くらい)
当時母親に”あなたは体育はできないけどその分他の教科で頑張れば良いんだよ”とよく言われていました。自分でもそうなんだと思っていたのかも知れません。例えば運動会で毎年徒競走がありましたが、6人で走れば必ず6着の人は必ずいるもんなぁ、自分が6着でも別に変じゃないよなぁ、と思っていました。(まぁ悪くはありませんができる範囲で頑張ろうとか、そういう意欲・モチベーションが持てなかったのは好ましくないと最近は思います。)
今になって思うと体調が悪いときは仕方ないかもしれませんが、状況が許す限り運動して体力をつける工夫をしてくれば良かったと思います。
日中多少の肉体的活動をするだけでどっと疲れてしまい夜はあっという間に寝てしまいます。
これは中学以降も変わらず、どんなに大切なことがあっても、自分で起きていようと頑張っているつもりでも気がつくと寝てしまっているのです。(ほぼ気を失うのと同じです。)大きくなれば体力が自然とつくわけではありません。ある程度小さいうちからできる範囲の運動で体力増進を心がけたほうがより過ごしやすくなると思います。
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