2019年6月14日金曜日

盲腸ポート

高位・中間位鎖肛以外にも腸管、肛門周囲筋肉の神経が障害されて排泄が困難(頑固な便秘や失禁)になる疾患として先天的なものは二分脊椎や後天的なもので脊髄損傷があるようです。


そういった方たちの症状軽減のために、基本的には私と同じですが盲腸から洗腸液を入れやすくするために”盲腸ポート”を作る手術があるそうです。


こちらのHPを見て初めて知ったのですが ガストロボタンという樹脂製の器具を手術で右脇腹に取り付けるというものでした。

体表から器具のフタになる部分が出ているので少し気になりますが洗腸時はチューブを入れやすく苦労は少ないと思います。
またガストロボタンの盲腸に入る部分だと思いますが逆流防止弁がついているので腸の中身がガストロボタンから出てくることはまずないのだと思います。

もちろん盲腸ポートを造設された方にしかわからない苦労はあるのだと思いますがこのような治療法もあると知りました。


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2019年6月7日金曜日

高校生時代

高校生になって通学に電車を使うようになりました。田舎の電車ですから都内のようにいつでも駅に行けば乗れる訳ではありません。毎朝○時○分の電車に乗る。次になったら×分の遅刻。などという環境です。


しかも通勤時間でもありますから田舎と言えどもほぼ満員になることが多いのです。いわゆるパーソナルスペースが侵害される空間です。調子が悪い時はとてもじゃありませんが乗っていられません。1時間目を欠席することはしばしばあったと思います。

高校でも入学前に病気の事は学校側へ説明していましたが、覚えている限りでは、プール以外は特別な配慮は無かったと思います。

体育は引き続き苦手でしたが校風として体育はリクリエーション的な扱いだったので大体は参加していたと思います。(それまで5段階評価で2でしたから3でもとても嬉しかったのを覚えています。)

この頃になると便が出てしまったというのはほぼ分かるようになっていたと思います。ですから学校で排泄後の処理(ナプキンを交換する)をしたりもできるようになりました。またこの頃から下着を1セット緊急用に持参するということもしていました。荷物が多くて大変ですが。

高校生にもなると部活動(文科系)にも参加してそれまでより活動的になったと思います。
が、入学当初は慣れない電車通学でとても疲れてしまったことを覚えています。授業中に居眠りする なんてそれまで信じられなかったのですが実際に自分が寝てしまいそれ程体力が無かったのだなぁと実感したのでした。

共学だったのですが高校生にもなるとやはり異性のことがとても気になります。周りも彼女がどうとかオープンに話す友人もいました。が、自分は興味があっても彼女を作りたいとかモテたいというのはありませんでした。
正確には無いと言えば嘘になりますが、じゃあ積極的に話すとか自分からアタックするというのはありませんでした。やはり体のことを考えるとこんな自分では迷惑だろうなと感じていたからです。

体調が良く排泄のコントロールができている時は全くと言ってよい程問題ない訳ですが、毎日がそうではありません。一人でささっと帰りたい時もあるわけです。そういった事を考えると彼女が欲しいというのは正直あっても相手に迷惑をかけて余計に嫌われるだろうと思うようになっていたのです。

この体の障害についてはほぼ家族以外には誰にも話せませんし恥かしすぎて知られたくないというのが本音です。当時は自意識過剰気味の高校生ですからそのような事を他人に話すくらいならこの世から消えて居なくなりたいとさえ思う位です。

ただ今思うと、これは自分が病気のことを正しく受け止められていなかったのかも知れません。小さいころからこれが当たり前で他の人には隠しておかないといけない。しかし実はどのような状態なのか理解できる正確な説明を受けたことも無い。

まぁ考えてもどうにかなるものではないのですが、考えたうえである程度納得しているのと初めから考えないで我慢するというのは天と地ほどの差があると思います。

どうせ自分なんか...と自分に自信が持てず、自尊心が低く、自己肯定感に乏しい。まさに私はそのような人間でした。


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2019年5月31日金曜日

中学生時代

中学生になると、それまでの集団登校はなくなり各自が時間を守って登校するようになります。小学生の時は朝の準備が忙しく(排泄の後始末や準備がありますし低学年の頃は独りではできません)上級生が迎えに来て少し待ってもらう事もありました。


人を待たせるという煩わしさ(?)からは解放されましたがやはり朝の準備は大変でした。しかも朝食を摂るとお腹が動き始めますから排泄が促されることもあります。一度家を出ても途中で引き返して処理をして、遅刻して登校ということもありました。中学でもやはり入学前に両親が病気や現状を説明しある程度の配慮を求めていたと思います。

中学に上がってさらに変わったのは制服があることです。黒の詰襟の典型的な学生服でしたから色的には好ましいのですがジーンズのようにフィットしている物ではありません。お腹が緩くなったらどうしようとか、逆に便がウサギのフンのように固くでも下着の隙間から転がり落ちたらどうなるだろうという心配がありました。この辺りの記憶は残念ながら定かではないのですが、この頃でも排泄してしまったことを必ずしも分かるとは限らなかったのです。固い便の時は座っていればお尻の感覚で”あれ?何かお尻で踏んでる?”ということは分かっていたと思います。そうではない時が大変で特におならが出るのと軟便が出る違いは全くわからなかったのです。

小学生の時は遊びに夢中になっていると下痢にでもならない限り全く気にならず、遊び終わってからなんか変とわかる。しかし中学生にもなるとやはり変わります。
日頃から臭い・匂うという言葉に敏感で何とかおならも教室では出さないように努力しました。努力と言ってもお尻の穴に力を入れるということ自体が難しく、体を震わせるくらい力を全身に入れてしまっていたと思います。椅子に座っているときにはお尻を座面に押しつけて漏れないようにもしていました。

幸いとても良い友人たちに巡り合え音楽や(当時流行っていた)鉄道などの趣味について楽しく過ごすことができましたが放課後にも十分な時間を共有できたかというとそうではありませんでした。やはり人と共にいる時間が増えれば増えるほど”嫌われる”恐れが増えてしまうと感じてしまっていたのです。

断片的な記憶しかありませんが中学1年生の頃は小学生時代にもあった皆を笑わせたいという気質が目立っていてクラスの女の子に”○○君(私)と××君(親友)っておすぎとピーコみたいだよね”って言われた事がありました。
”えっ、面白がらせようとはしていたけれどそんなに俺たちオネエっぽいのか?”って複雑な気持ちになったことを覚えています。

しかし学年があがりやはり女子の目が気になってくると、嫌われないように目立たないように...と目立つことは避けていったと思います。

大好きなビートルズやYMOを聞いたり、ファッションに興味を持ち出したりということもありましたがそれを楽しむ時間を友達と共有するということは苦手だったのだと思います。思い返すととても残念で仕方がありません。

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浪人時代

浪人時代 中学・高校と洋楽が大好きで当時流行でもありましたがハードロック/へヴィメタルをよく聴いていました。 当時はレコードが中心の時代です。少ないお小遣いで色々聴きたいのでレンタルしたり中古レコード屋さんめぐりをしたり... そんな生活ですから進路を考えた時に音響...